2014年11月21日金曜日

22. 塩竃神社(五月九日)

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【現代読み】
早朝、 塩竈(しおがま)の明神(みょうじん)に詣(もう)づ。 
国主(こくしゅ)再興(さいこう)せられて、 宮柱(みやばしら)太敷(ふとし)く、 
彩椽(さいてん)きらびやかに、 石の階(きざはし) 九仭(きゅうじん)に重なり、 
朝日 朱(あけ)の玉垣(たまがき)を輝かす。 
かゝる道の果て、 塵土(じんど)の境(さかい)まで、 
神霊(しんれい)あらたにましますこそ、吾国(わがくに)の風俗(ふうぞく)なれと、 
いと貴(とうと)けれ。
 
神前に 古き宝燈(ほうとう)有り。 鉄(かね)の扉の面(おもて)に、 
「文治(ぶんじ)三年 和泉三郎(いずみのさぶろう)寄進」 と有り。 
五百年来の俤(おもかげ)、 今 目の前に浮かびて、 そぞろに珍し。 
(かれ)は勇義忠孝(ゆうぎ・ちゅうこう)の士(し)也。 
佳名(かめい)今に至りて、 慕(した)わずといふ事なし。
誠に 「人能(ひとよ)く道を勤(つと)め、 義(ぎ)を守るべし。
名もまた是(これ)に従(したが)う」 と云へり。

日 既(すで)に午(ご)に近し。 船を借りて松嶋に渡る。
その間(かん)二里余り、 雄嶋(おじま)の磯(いそ)に着く。

【語句】
塩竃の明神: 塩竃神社。 陸奥国一宮で、同一境内に志波彦神社(しわひこじんじゃ)も鎮座する。
国主再興せられて: 慶長十二年(1607年)に藩主・伊達政宗が修造したことを指す。
宮柱太敷く:  「太敷く立てて」の誤用とのこと。
彩椽きらびやかに: 「采椽(彩ったクヌギの垂木)」を転用した造語らしい。
石の階 九仭に重なり: 表坂(表参道)にある石段で、現在202段あるとか。
「九仭」の「仭(じん)」は周尺で、両手を広げた程の長さらしい。「九」は数の多いものを表す言葉として使われる。
朱の玉垣: 神社の周囲にめぐらされた朱色に塗られた垣。 「玉」は美称。

神前に古き宝燈あり: 当時は表坂の石段を登りきった左側にあったとか。 「文治三年」は作られた当時のことで、芭蕉の頃は寛文年中に再興されたもの。
和泉三郎: 藤原忠衡(ふじわらのただひら)のことで、藤原氏三代当主・藤原秀衡の三男。 
文治三年: 西暦1187年。 元禄二年の502年前で、兄・泰衡の軍と戦って亡くなる二年前のこと。
渠は勇義忠孝の士也:  異母兄である藤原泰衡が源義経を攻めた時、父・秀衡の遺言を守って義経に味方し、兄・泰衡と戦って最期は自害したことを指す。
名もまた是に従う: 「動而得謗、名亦随之(名も亦た之に随う)」は韓愈に出てくる言葉だが、それ以外は出典不明。 



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