2014年11月18日火曜日

25. 瑞巌寺(五月十一日)

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【現代読み】
十一日 瑞巌寺(ずいがんじ)に詣(もう)づ。 
当寺(とうじ)三十二世の昔、 
真壁(まかべ)の平四郎(へいしろう) 出家(しゅっけ)して入唐(にっとう)、 
帰朝(きちょう)の後(のち) 開山(かいさん)す。 

(そ)の後(のち)に 雲居禅師(うんご・ぜんし)の徳化(とくげ)に依りて、 
七堂(しちどう)(いらか) 改りて、 金壁荘厳(こんぺき・しょうごん) 光を輝かし、
仏土成就(ぶつど・じょうじゅ)の大伽藍(だいがらん)とは なれりける。
(か)の見仏聖(けんぶつひじり)の寺は いづくにやと慕(した)わる。

【語句】
瑞巌寺(ずいがんじ):  松島にある古刹で、古くは松嶋寺とも称された。
真壁平四郎: 法身(ほっしん)禅師の俗名で、常陸国(茨城県)真壁郡の出身。 出家したエピソードとして、
 「平四郎が領主の下僕を勤めて頃、宴のあった冬の日に履き物を懐(ふところ)で温めて領主を待っていたところ、履き物を尻に敷いていたと誤解されて額を割くほど殴られたという。(秀吉と信長にもそんな話があったが、結果が違う。)
そのことをきっかけに平四郎は出家し、宋に渡って九年間修行した後に帰朝した。

入唐(にっとう): 唐の国に渡る事。 正確には「入宋」だが、中国を唐と呼んでいた名残りでしょう。
見仏聖: 見仏(けんぶつ)上人のこと。 松嶋の雄島に庵を結び、十二年間の苦行の間に六万部の法華経を読誦したといわれる。
「西行上人、能登の切浦にてこの聖にあひし後、この聖を慕ひて松嶋まで来られしことなどあれば、彼の とは申されたり」(撰集抄)



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