2014年11月16日日曜日

27. 平泉(五月十三日)

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【現代読み】
三代(さんだい)の栄耀(えよう) 一睡(いっすい)の中(うち)にして、
大門(だいもん)の跡は 一里こなたに有り。
秀衡(ひでひら)が跡は田野(でんや)に成りて、 金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。
(ま)づ高館(たかだち)にのぼれば、 
北上川(きたかみがわ)南部より流るる大河(たいが)也。
衣川(ころもがわ)は和泉が城(いずみがじょう)を巡(めぐ)りて、 
高館の下にて 大河に落ち入(い)る。
泰衡(やすひら)らが旧跡は、 衣が関(ころもがせき)を隔(へだ)てて、 
南部口(なんぶぐち)をさし堅(かた)め、 夷(えぞ)を防ぐと見えたり。

(さて)も義臣(ぎしん)すぐって この城(しろ)に籠(こも)り、 
功名(こうみょう)一時(いちじ)の叢(くさむら)となる。
「国破れて山河(さんが)あり、 城(しろ)春にして草(くさ)青みたり」 と、
笠打ち敷(し)きて、 時の移るまで泪(なみだ)を落し侍(はべ)りぬ。

 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

 卯の花に 兼房(かねふさ)見ゆる 白毛(しらが)かな  曾良

【語句】
三代の栄耀: 奥州藤原氏藤原清衡(きよひら)・基衡(もとひら)・秀衡(ひでひら)の親子三代を指す。 源義経を匿(かくま)ったことを理由に鎌倉勢の大軍に攻められ、四代目・藤原泰衡の代で滅亡した。→ 平泉

一睡の中にして: 「邯鄲夢の枕」や「一炊の夢」など色々なタイトルの話があるが、『趙(ちょう)の首都・邯鄲(かんたん)に住む盧(ろ)という書生が、休憩で立ち寄った宿で道士と語り合っていた時のこと、宿の主人が蒸していた黄粱(きび)が炊けるまでのわずかな眠りの間に、人生の栄枯盛衰(えいこ・せいすい)をたっぷりと味わう一生の夢を見た』―というエピソードに基づいていて、「一炊」と「一睡」を掛けた見事な表現。
元の話は、唐の玄宗皇帝時代の沈既済(しん・きせい)の伝奇小説「枕中記(ちんちゅうき)」によるもの。 岩波文庫「唐宋伝奇集(上)」の三話目「邯鄲・夢の枕―枕中記」に7ページの短編小説として収録されている。

大門の跡: 政庁となった平泉館(ひらいづみのたち)の南大門跡。  平泉館跡は、現在の 柳之御所遺跡(やなぎのごしょいせき)と推定される。
秀衡が跡: 三代・藤原秀衡の居館「伽羅御所」の跡。 
金鶏山: 秀衡が富士山に模して築かせた山で、山頂に雌雄一対の金鶏を埋めたと伝えられる。 他はみな戦火で焼失してしまった。

高館(たかだち): 衣川館(ころもがわのたち)とも呼ばれ、源義経の居館となっていた。 鎌倉側の圧力に屈した四代目・泰衡によって攻められ、義経が自害に追い込まれた最期の場所。
北上川: 岩手県と宮城県にまたがって流れる東北最大の河川。
和泉が城: 藤原忠衡(塩竃明神に宝鐙を寄進した和泉三郎のこと)の居城。 「彼は勇義忠孝の士なり」と芭蕉は「塩竃明神」の段で綴っている。

義臣(ぎしん)すぐって: 忠義をつくす家臣を選(すぐ)って。  特に最期まで義経に忠義をつくした武蔵坊弁慶の壮絶な死に様は、「弁慶の立ち往生」として語り草となっている。
国破れて山河あり: 杜甫の有名な詩「春望」の一節を引用したもの。
『国破山河在 (国破れて山河在り) 城春草木深 (城春にして草木深し)』
―を少し変えている。 玄宗皇帝が楊貴妃にうつつを抜かしている間に政治が混乱し、安史の乱を招いて、都の長安が戦火で荒廃した時のことを歌ったもの。

兼房: 十郎権頭兼房(じゅうろう・ごんのかみ・かねふさ)。 伝奇物語『義経記』にのみ登場するようだが、実在しない架空の人物である。 弁慶同様その壮絶な最期が語り草となっていて、白く揺れる卯の花に、白髪を振り乱して雄々しく戦った兼房の姿を重ね合わせている。
(この句も「曾良旅日記」や「俳諧書留」には見当たらないので、曾良作かどうかは不明)



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