2014年11月15日土曜日

28. 中尊寺・金色堂

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【現代読み】
(か)ねて 耳驚(みみおどろ)かしたる 二堂開帳(にどう・かいちょう)す。
経堂(きょうどう)は 三将の像を残し、
光堂(ひかりどう)は 三代の棺(ひつぎ)を納め、 
 三尊の仏を 安置(あんち)す。

七宝(しっぽう)散り失せて、
(たま)の扉 風に破れ、
(こがね)の柱 霜雪(そうせつ)に朽ちて、
既に頽廃空虚(たいはい・くうきょ)の叢(くさむら)となるべきを、
四面(しめん)新たに囲みて、 甍(いらか)を覆(おお)いて風雨を凌(しの)ぎ、
暫時(しばらく) 千歳(せんざい)の記念(かたみ)とはなれり。

 五月雨(さみだれ)の 降り残してや 光堂(ひかりどう)

【語句】
中尊寺: 奥州藤原氏ゆかりの寺として有名で、金色堂など多くの文化財を有する。
二堂開帳す: 光堂金色堂)と、経堂(大長寿院・所有)のこと。 「開帳」は本来、厨子の扉を開いて中の仏を大衆に拝ませること。
「曾良旅日記」によると、『十三日、天気明。己の刻より平泉へ趣く。高館・衣川・衣の関・中尊寺・(別当案内)光堂(金色堂)・泉が城・秀平(衡)やしき等を見る。経堂は別当留守にて開か不。金鶏山見る・・・』―とあり、経堂は開かなかったようである。

経堂は三将の像を残し: 実際に経堂に安置されているのは、「木造・騎獅文殊菩薩 及脇侍像5躯」―ということで獅子に跨った文殊(もんじゅ)菩薩像とその他の像のようで、経堂は開いていないので間違えたのでしょう。
四面新たに囲みて甍を覆い: 金色堂を保護するために設けられた覆堂(おおいどう)、または鞘堂(さやどう)のこと。 芭蕉が見たものは南北朝時代のもので、現在は鉄筋コンクリート製となっている。

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