2014年11月12日水曜日

31. 尾花沢(五月十七日)

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【現代読み】
尾花沢(おばなざわ)にて 清風(せいふう)と云ふ者を尋(たづ)ぬ。
かれは富める者なれども、 
(こころざし) (いや)しからず。
都にも折々(おりおり)通いて、 
さすがに 旅の情(なさけ)をも知りたれば、
日比(ひごろ)とどめて、 長途(ちょうど)のいたわり、
さまざまに もてなし侍(はべ)る。

 涼しさを 我が宿にして ねまるなり

 (は)い出でよ 飼屋(かいや)が下の 蟾(ひき)の聲(こえ)
 眉掃(まゆは)きを 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花
 蚕飼(こが)いする 人は古代(こだい)の 姿かな 曾良

【語句】
尾花沢: 現在の山形県尾花沢市。 
清風(せいふう): 鈴木清風。 本名:鈴木道祐。 紅花問屋・島田屋の豪商で、金融業も営んでいた。 芭蕉や曾良とは貞享二年以来江戸での付き合いがあり、当時三十九歳。
かれは富める者なれども、志卑しからず: 「昔より、賢き人の富めるは稀なり」(「徒然草」十八)
都にも折々通いて: 「心の花の都にも、二年(ふたとせ)三年(みとせ)住みなれ、古今俳諧の道に踏み迷ふ」(「おくれ双六〈すごろく〉」清風自序)

ねまる也: 「ねまる」と云ふ詞(ことば)に二義あり。 北国の「ねまる」は他国にて居(すわ)ると云う詞に当たるべし。(「菅菰抄」)―ということで、「他人の家であることを忘れ、くつろいで座る」ということ。 
尿前(しとまえ)の関から山刀伐(なたぎり)峠を苦労して越えてきた芭蕉にとって、豪商・清風の家での歓待は有難いものであったはず。
飼屋(かいや): 蚕(かいこ)の養蚕(ようさん)室を表す尾花沢の言葉とのこと。 「ねまる」や「かいや」など、土地の言葉を使っているところに清風に対する気持ちがうかがえる。

眉刷(まゆは)き: 白粉(おしろい)を付けた後に眉毛を払う小さな刷毛(はけ)のこと。
紅粉の花: 紅花の形から、眉刷きを連想しているということで、これも紅花問屋の清風と関係がある言葉。
ちなみに雪の多い尾花沢は養蚕(ようさん)は盛んに行われていたが、紅花の栽培はあまり行われていなかったそうで、その代わり収穫された紅花の集散地として栄えたという。
蚕飼(こが)いする: 養蚕(ようさん)の歴史は古く、日本には弥生時代に伝えられたとされる。

尾花沢では清風宅を始め、地元の裕福な俳人たちとの交歓を重ねたようで、次の立石寺に向かうまで十日ほど滞在している。 
  「曾良旅日記」
十七日 (山刀伐峠越え)昼過ぎ、清風に着き、一宿す。
十八日 昼、寺にて風呂有り。小雨す。それより養泉寺移り居。
十九日 素英(村川伊左衛門・談林系の俳人)、なら茶賞す。 夕方小雨す。 
二十日 小雨。
二十一日 朝、小三良(富豪・鈴木宗専の息子、俳号:東水)へ招被(まねかる)。同晩、沼沢所左衛門(庄屋・俳号:遊川)に招被。此の夜、清風に宿。
二十二日 晩、素英に招被。
二十三日の夜、秋調(歌川仁左衛門)に招被(まねかる)。 日待(潔斎して徹夜して日の出を拝み、祈願する行事)也。 その夜、清風に宿す。
二十四日の晩、一橋(杏花とも)、寺にて持賞(もてな)す。十七日より終日晴明の日なし。

○秋調 (歌川)仁左衛門。 ○素英 村川伊左衛門。 ○一中(尾花沢の地蔵院・住職) 町岡素雲。 ○一橋 田中藤十良。 ○ 遊川 沼沢所左衛門。 ○東陽(秋調の父・医者) 歌川平蔵。 ○大石田、 一栄(大石田の船問屋) 高野平右衛門。 ○同、川水(大石田の大庄屋) 高桑加助。 ○上京(当時、京都に旅行中の意)、 鈴木宗専(富豪)、俳名:似林。 息(子): 小三良。 新庄、渋谷甚兵(新庄の富商)へ、風流(俳諧)。

二十五日 折々小雨す。 大石田より川水(前出)入来、連衆故障有て俳(諧)なし。夜に入、秋調(前出)にて庚申待(庚申〈かのえさる〉の日に青面金剛・猿田彦などを祭り、徹夜で俳諧等をして寝ずに過ごすこと)にて招被(まねかる)。
二十六日 昼より遊川(前出)に於て東陽(前出)持賞(もてな)す。此の日も小雨す。
―とあり、五月二十七日(現在の7月13日)になってやっと晴れてから立石寺へ趣いている。




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