2014年11月11日火曜日

32. 立石寺(五月二十七日)

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【現代読み】
山形領に 立石寺(りゅうしゃくじ)と云う山寺あり。
慈覚大師(じかく・だいし)の開基(かいき)にて、 殊(こと)に清閑(せいかん)の地なり。
一見(いっけん)すべきよし、 人々の勧(すす)むるによりて、
尾花沢よりとって返し、 その間 七里ばかりなり。
日 いまだ暮れず。

(ふもと)の坊に宿借(やどか)り置きて、 山上の堂に登る。
岩に巌(いわお)を重ねて山とし、 松栢(しょうはく)年旧(としふ)り、
土石(どせき)老いて 苔(こけ)滑らかに、
岩上の院々(いんいん)扉を閉じて、 物の音聞こえず。
岸を巡(めぐ)り 岩を這(は)いて 仏閣(ぶっかく)を拝し、
佳景寂寞(かけい・じゃくまく)として 心澄み行くのみおぼゆ。

 (しず)かさや 岩にしみ入る 蝉の声

【語句】   (この日は 五月二十七日 、現在なら7月13日頃で、江戸を発ってから丁度二ヶ月になる)
立石寺: 現在は「りっしゃくじ」、古くは「りゅうしゃくじ」で、通称「山寺」、正確には「宝珠山・立石寺」。
慈覚大師: 円仁(えんにん)としても知られ、入唐八家の一人。
尾花沢よりとって返し: 「尾花沢から大石田まで出て、最上川から舟に乗る」という通常のルートから外れ、一旦南下して立石寺に立ち寄り、そこからまた北に戻ったことを言う。

日いまだ暮れず: 曾良の旅日記によると、
 「廿七日: 天気能し。 辰の中刻(現在の7時頃)、尾花沢を立て立石寺へ趣く。清風より馬にて館岡迄送らる。(中略)未の下刻(現在の午後3時~3時半頃)に着く」とある。 
その後、麓の宿坊に予約を入れて荷物を置き、一休みしてから山寺に登ったとしても、夏至近くならまだ日は高いはず。
麓の坊: 参詣者の泊る宿坊。
山上の堂: 本堂が根本中堂、百丈岩の上に立つ開山堂(寺を開山した自覚大師の御堂)、写経を納めた納経堂、五大明王を奉る五大堂などがある。
松栢(しょうはく): 「栢(はく)」は「柏(かしわ)」の俗字。 松や柏に限らず、樹齢を重ねた山寺の老木を指しているのでしょう。
岩上の院々: 海抜417m.にある奥の院(正しくは「如法堂」)、412m.にある華蔵院、400m.の中性院金乗院性相院など、十二支院がある。
岸をめぐり 岩を這て: 「岸」は「崖」のこと。 現在の立石寺は石段が整備されているが、当時は今より大変だったはず。

蝉の声: 芭蕉が尾花沢に着いてから十日間、ずっと梅雨空が続いていたことは「曾良旅日記」に書かれており、この日はやっと晴れてそろそろ梅雨明けを迎える。 蝉が鳴き始めるとしても「初蝉」の頃だから、盛夏のにぎやかな「蝉しぐれ」ではない。 夕暮れ近くであれば蝉の鳴きやむ時間帯だろうから、尚更でしょう。



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