2014年11月10日月曜日

33. 大石田

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【現代読み】
最上川(もがみがわ)乗らんと、 
大石田(おおいしだ)と云う所に日和(ひより)を待つ。

(ここ)に 古き俳諧(はいかい)の種こぼれて、
忘れぬ花の 昔を慕(した)い、
芦角一聲(ろかく・いっせい)の心を和(やわ)らげ、
この道に さぐり足して、
新古二道(しんこ・ふたみち)に 踏み迷うといえども、
道標(みちしるべ)する人しなければ と、
わりなき一巻(ひとまき)を残しぬ。
このたびの風流(ふうりゅう)、 爰(ここ)に至れり。

【語句】
最上川: 山形県を流れる河川で、日本三大急流の一つ。 「乗らん」は「最上川より舟に乗らん」の略。 急流で難所も多かったが、河川の整備により舟運(しゅううん)も発達した。
歌枕でもあり、「古今和歌集」にも載っている。
「最上川 のぼればくだる 稲舟(いなぶね)の いなにはあらず この月ばかり」(東歌・陸奥歌) 
「稲舟(いなぶね)」は舟運で米俵を運ぶことで、馬車よりずっと多くの数を運ぶことができた。

大石田: 最上川の中流に位置し、河口付近の酒田とを結ぶ舟運の船着場として栄えた。 それ以上の上流域には多くの難所があるため、大石田で荷物を陸揚げし、安全な陸路を運ぶというのが当時は一般的だったようである。
大石田には、尾花沢で知り合った船問屋の一栄、大庄屋の川水などの俳人がいた。

芦角一聲(ろかく・いっせい): 芦茄(あし笛)と胡角(つのぶえ)を混交した芭蕉の造語のようで、鄙(ひな)びた芦笛を吹くような、「辺鄙な田舎の風流を指す」、とのこと。
新古二道に踏み迷う: 前出の清風「おくれ双六(すごろく)」の序文に、
「心の花の都にも二年(ふたとせ)三年(みとせ)住みなれ、古今俳諧の道に踏み迷ふ。近曽より漸(ようよう)新しき海道に出て、諸人を招き、四季折々の佳作を得ると云へども」―を指す。

わりなき一巻: やむを得ずに巻いた連句一巻。 曾良の「俳諧書留」に芭蕉、曾良、一栄、川水による句が残されている。(後述)
このたびの風流: 須賀川・等窮宅での「風流の 初めや奥の 田植え歌」―を風流の旅の初めとすると、今回の旅ではこのような成果を産むに至った、ということ。

曾良旅日記」によると、三日ほど日和を待っていて、その間に一栄、川水らとの交流を深めていたようである。
廿八日 馬借て天童に趣く。六田にて、又内蔵に逢う。立寄ば持賞(もてな)す。子の中刻、大石田・一栄(船問屋)宅に着く。両日共に危して雨降ら不。本飯田より壱り半、川水に出合う。其の夜、労に依りて俳(諧)無し。休む。
廿九日 夜に小雨す。 (四人による)発(句)、一巡終りて、(芭蕉)翁 両人誘て黒滝へ参詣(さんけい)被(せら)る。予は所労の故、止(とど)る。未の刻、帰被(かえら)る。道々俳(句)有。 夕飯、川水に持賞(もてな)す。夜に入、帰る。
晦日(三十日) 朝曇り、辰の刻晴れ。歌仙終る。翁、其の辺へ遊被(あそばれ)る。帰り、物ども書被(かかる)る。
六月朔(一日) 大石田を立つ。辰の刻、一栄・川水、弥陀堂迄送る。

曾良・俳諧書留」 大石田・高野平衛門(一栄)亭にて:
五月雨を 集て涼し 最上川  翁(芭蕉)  (「涼し」は本文で「早し」に改められている)
岸に ほたるをつなぐ 舟杭  一栄  (「岸」は、たぶん「みずぎわ」)
瓜畑 いざよふ空に 影待て  曾良
里を むかひに桑の 細道  川水  (「里」は、「むらざと」か「みちのり」)
うしの子に 心慰む 夕間暮  一栄
水雲 重しふところの 吟   翁  ・・・と続く。 (「吟」は「くちずさむ」か)

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