2014年11月4日火曜日

39. 鶴が岡・酒田

原文 (クリックで拡大)


原文を行書体で書き写したもの (クリックで拡大)


楷書体・振り仮名付き (クリックで拡大)


【現代読み】
羽黒を立ちて、 鶴が岡(つるがおか)の城下、
長山氏(ながやまうじ)重行(じゅうこう)と云う 武士(もののふ)の家に
迎えられて、 俳諧一巻(はいかい・ひとまき)有り。
左吉(さきち)も共に送りぬ。

川舟に乗りて 酒田の港に下(くだ)る。
渕庵不玉(えんあん・ふぎょく)と云う 医師(くすし)の許(もと)を宿とす。

 あつみ山や 吹浦(ふくうら)かけて 夕涼み
 暑き日を 海に入れたり 最上川

【語句】
羽黒を立ちて: 「曾良旅日記」によると、八日から十二日の昼頃まで羽黒で俳諧や歌仙をやっていて、十二日の午後に鶴ヶ岡に出向き、そこでも俳諧を行っている。
鶴が岡の城下: 現在の山形県鶴岡市
長山氏重行: 庄内藩士、通称:五郎右衛門。 芭蕉門下の俳人。
俳諧一巻あり: 曾良「俳諧書留」(後述)十日に四人の四吟歌仙がある。
左吉: 近藤左吉(前出・俳号:露丸)。
 
川舟に乗りて酒田の港に下る: 船で酒田へ出たのは十三日で、翌日も酒田に滞在して俳諧を行っている。
酒田の港: 現在の酒田市にある酒田港。最上川の河口に当たる。フェーン現象により、夏場の気温が40度を越えたこともあり、曾良旅日記でも「暑さ甚(はなはだ)し」とある。
渕庵不玉(えんあん・ふぎょく): 本名・伊東玄順。酒田の町医者。蕉門の俳人。

温海山(あつみやま): 現在の温海岳(736m.)で、酒田よりも40km.ほど南にある。
吹浦(ふくうら): 温海山とは反対に、酒田よりも北に20km.ほどのところに現在の吹浦(ふくら)漁港がある。
「温海山」と「吹浦」という地名を句に読み込んでいるだけでなく、不玉(伊東玄順)の編んだ「継尾集」の「江上之晩望」に句が載っているところを見ると、酒田の港に舟を浮かべて夕涼みをした時の句であろうと言われている。それならどちらも同時に眺めることが可能で、海上からの広々とした景色が浮かんでくる。

「曾良旅日記」
十二日: 鶴ヶ岡、山本小兵衛殿、長山五郎右衛門縁者。図司藤四良、近藤左吉舎弟也。
十三日: 川船にて坂(酒)田に趣く。船の上七里也。陸五里成と。
出船の砌(みぎり)、羽黒より飛脚、旅行の帳面(ちょうめん)調被(ちょうじら)れ、遣被(つかわさ)る。又、ゆかた二つ贈被(おくら)る。亦(また)、発句(※)共も見為被(みせら)る。
 【※発句: 羽黒より贈被(おくら)る 「忘るなよ 虹に蝉鳴 山の雪  会覚」】
船中少し雨降りて止む。申の刻(午後5時頃)より曇り、暮れに及て坂田に着く。
玄順亭(俳号:渕庵不玉)へ音信(おとづれ)、留守にて、明朝逢う。
十四日: 寺島彦助(俳号:安種亭詮道。酒田の浦役人)亭へ招被(まねか)る。俳(諧)有り。夜に入り帰る。暑さ甚(はなはだ)し。


  「曾良・俳諧書留」
   元禄二年六月十日
めづらしや 山をいで(出)羽の 初茄子(はつなすび)  翁
蝉に車の音添る井戸  重行
絹機(きぬはた)の 暮(くれ)閙(さわが)しう 梭(ひ)打ちて  曾良
閏(うるう)弥生も すゑの三ケ月  露丸
吾顔に 散かヽりたる 梨の花  重行
 
   六月十五日(日記では十四日)、寺島彦助亭にて
涼しさや 海に入たる 最上川  翁
月をゆりなす 浪のうき見る  寺島詮道
黒がもの 飛行庵の 窓明けて  不玉
かばとぢの 折敷作りて 市を待  曾良

   出羽酒田 伊東玄順亭にて
温海山や 吹浦かけて 夕涼  翁
みるかる磯に たヽむ帆莚  不玉
月出ば 関やをからん 酒持て  曾良
土もの 竃の煙る 秋風  翁

0 件のコメント:

コメントを投稿