2014年11月1日土曜日

42. 象潟(きさがた)・祭礼

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【現代読み】
 祭礼

 象潟や 料理何食う 神祭(かみまつり) 曾良

 蜑の家(あまのや)や 戸板を敷きて 夕涼み
   美濃(みの)の国の商人 低耳(ていじ)

岩上に雌鳩(みさご)の巣を見る 
 波越えぬ 契(ちぎり)ありてや みさごの巣 曾良

【語句】
料理何喰う: 「曾良・旅日記」にもあるように、象潟に来た十七日は丁度祭礼があり、「熊野権現(塩越の鎮守・熊野神社)の社(やしろ)へ行き、躍(おどり)等を見る。」(曾良旅日記)とある。
熊野神社の祭礼では魚肉を摂らないとのことで、「せっかくの祭りに、一体どんな料理が出るのか」という句であって、「今夜は何を食べようか」という意味ではない。

美濃(みの)の国の商人 低耳(ていじ): 「曾良・旅日記」には「弥三良(郎)・低耳(美濃の国・長良の商人:宮部弥三郎)十六日に跡より追来て、所々へ随身す」―とあるだけで、旧知の間柄ではなさそう。
「曾良・俳諧書留」には、「象潟や 蜑の戸を敷き 磯涼し 低耳」とある。
その後、酒田から大山へ入った時、弥三郎からの状を添えて宿を借りている(後述)。

みさご: 主に海岸に生息し、魚を捕食することから「海鷹」の異名がある。雎鳩(みさご)は夫婦仲が良いことでも知られ、「雎鳩巌(みさごいわ)」は象潟の名所ということだが、この句は「曾良・俳諧書留」には載っていない。 

  「曾良・俳諧書留」 象潟 六月十七日朝雨降 十六日着 十八日に立

象潟の 雨や西施が ねむの花  翁

   夕に雨止て、船にて潟を廻る
夕晴や 桜に涼む 浪の花   翁

  腰長汐(こしたけのしほ)  ※「腰長(こしたけ)」は浅瀬の名
腰たけや 鶴脛ぬれて 海涼し  
象潟や 苫やの土座も 明やすし  曾良
象潟や 蜑の戸を敷き 磯涼  みの岐阜 弥三郎 低耳
象潟や 汐焼跡は 蚊のけふり  不玉

   海風や 藍風わかる 袖の浦  曾良

十八日に象潟を発った芭蕉はその日の内に酒田へ着き、そこに一週間ほど滞在して地元の俳人たちとの俳諧を重ねているが、その間のことは全て省かれている。
  「曾良・旅日記」
六月十八日(現在の8月3日): 快晴。 早朝、橋迄行き、鳥海山の晴嵐を見る。飯終りて立つ。 藍風(北国で「東風」のこと)吹て山海快。暮れに及びて、酒田に着く。
十九日: 快晴。三吟始(※前出:「温海山や 吹浦かけて 夕涼み」を発句とする、芭蕉、曾良、不玉の三吟歌仙で、日付順ではないことが分かる)
明廿日、寺嶋彦助江戸へ趣被(おもむかる)るに因(ちなみ)て状認(じょう・したた)む。翁より杉風、又、鳴海寂照(下里氏・俳号:知足)、越人(越智氏・名古屋蕉門)へ遣被(つかわさ)る。予、杉風・深川長政へ遣わす。
廿日: 快晴。三吟。
廿一日: 快晴。夕方曇り。夜に入り、村雨(通り雨)して止む。三吟終。
廿二日: 曇り。 夕方晴れ。
廿三日: 晴れ。 近江屋三良兵(酒田の富豪・俳号:玉志)へ招被(まねか)る。夜に入、即興の発句有り。
廿四日: 朝晴れ。夕より夜半迄雨降る。
廿五日(現在の8月10日): 酒田立。船橋迄送被(おくら)る。袖の浦(※歌枕)、向也。 
不玉父子・徳左・四良右・不白・近江屋三郎兵・加賀屋藤右衛門(俳号:任暁)・宮部弥三郎(低耳:前出)也。
未の刻(午後二時半頃)、大山(鶴岡より少し西)に着く。(弥三郎より)状添て丸屋義左衛門方に宿。夜雨降。

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