2014年10月12日日曜日

49. 那谷寺

原文 (クリックで拡大)


原文を行書体で書き写したもの (クリックで拡大)


楷書体・振り仮名付き (クリックで拡大)


【現代読み】
山中(やまなか)の温泉(いでゆ)に行くほど、
白根(しらね)が嶽(だけ) (あと)に見なして歩む。
左の山際(やまぎわ)に 観音堂あり。
花山(かざん)の法皇(ほうおう) 三十三所の巡礼(じゅんれい)
とげさせ給(たま)いて後(のち)、
大慈大悲(だいじ・だいひ)の像を安置し給(たま)いて、
那谷(なた)と名付け給(たま)うと也(なり)。
那智(なち)・谷汲(たにぐみ)の二字を分かち侍(はべり)しとぞ。

奇石(きせき)様々に、 古松(こしょう)植え並べて、
萱葺(かやぶ)きの小堂(しょうどう)、 岩の上に造り掛(か)けて、
殊勝(しゅしょう)の土地なり。

 石山の 石より白し 秋の風

【語句】
山中の温泉(いでゆ): 小松から六里ほど南に行った山の中にある山中温泉(次の章)のことで、那谷寺はその途中にある。
「曾良・旅日記」によると先に山中温泉」へ行き、芭蕉と北枝は那谷まで加賀藩士と逢うために出向いているので(後述)、旅の順序としては逆になっている。
曾良は名湯と言われた山中温泉でも腹の病が治らずそこで別れ、一人で大聖寺町にある全昌寺へと一足先に趣いている。

白根が嶽: 石川と岐阜の県境にある白山(2702m.)のことで、「富士」、「立山」と共に日本三名山の一つ。「跡に見なして」は、「後ろに見て」ということ。
観音堂あり: 那谷寺のこと。 本堂に千手観音(せんじゅかんのん)を安置する。
花山の法皇: 第六十五代花山天皇(かざん・てんのう)のこと。

三十三所の巡礼: 西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)巡礼のことで、三十三所の霊場の観音菩薩を全て拝むと、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるという。
大慈大悲の像: 本堂に安置されている千手観音(せんじゅ・かんのん)菩薩像のこと。 実際は花山天皇より前に、泰澄大師が開山の折りに安置したもの。
那智・谷汲の二字を: 西国三十三観音の一番「智」と三十三番「汲」の山号から一字ずつを取り、「那谷」と改名した。→ 那谷寺・画像   

「曾良・旅日記」 (記述の無い日は、具合が悪かったのでしょう)
七月廿七日: 山中(温泉)に申の下刻(午後五時前後)、着。泉屋久米之助方に宿す。山の方、南の方より北へ夕立通る。

廿八日: 快晴。 夕方、薬師堂(医王院。本尊・薬師如来。町の西の山中にある)其の外、町辺を見る。夜に入り、雨降る。

廿九日: 快晴。 道明が淵(温泉の東を流れる大聖寺川の淵)、予、往不(ゆけず)。

晦日(三十日): 快晴。 道明が淵。

八月朔日(現在の9月18日): 快晴。 黒谷橋(大聖寺川に架かる橋)へ行く。

二日: 快晴。

三日: 雨折々降る。暮に及び、晴れ。山中故、月不得見(つきみることをえず)。夜中、降る。(晴れれば三ケ月)

四日: 朝、雨止む。 己の刻(午前九時半頃)、又降りて止む。夜に入り、降る。

五日: 朝曇り。昼時分、翁・北枝、那谷(寺)へ趣く。明日、小松に於て、生駒万子(加賀藩士・千石)、出会の為也。
●●(難読)して帰て、即刻、立つ。大聖寺(町)に趣く。(曾良はここから芭蕉と別れ、一人旅)
全昌寺へ申の刻(午後四時半頃)着、宿。夜中、雨降る。

0 件のコメント:

コメントを投稿