2014年10月11日土曜日

50. 山中温泉

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【現代読み】
温泉(いでゆ)に浴(よく)す。 
その効(こう) 有馬(ありま)に次ぐと云う。

 山中(やまなか)や 菊は手折(たお)らぬ 湯の匂い

あるじとする者は 久米之助(くめのすけ)とて、いまだ小童(しょうどう)なり。

彼が父 俳諧(はいかい)を好み、 
(らく)の貞室(ていしつ) 若輩(じゃくはい)の昔(むかし)、 
(ここ)に来(きた)りし頃、 風雅(ふうが)に辱(はずか)しめられて、 
洛に帰りて 貞徳(ていとく)の門人(もんじん)となって世に知らる。  
功名の後(のち)、 この一村(いっそん) 判詞(はんし)の料(りょう)を請(う)けずと云う。
今更(いまさら) 昔語(むかしがた)りとはなりぬ。

【語句】
温泉(いでゆ): 山中温泉(やまなか・おんせん)のこと。
有馬に次ぐ: 原文では「有明」となっているが、有馬温泉の間違い。有馬は江戸時代の温泉番付で西の横綱に選ばれている名湯。

菊は手折らぬ: 能楽「菊慈童」や、「菊水譚」の故事がベースになっている。
(菊慈童は二句の経文を書き添えた帝の枕を賜り、慈童がその経文を菊の葉に書き付けると、その葉から滴る露が不老不死の薬となって七百年の齢(よわい)を得たという。経文の功徳が菊の葉に移り顕れ、菊の葉の雫(しずく)からは菊の香が漂い、その水が溜まってやがて渕となり、谷へと流れ下り、菊水の流れとなった、といわれる)
ここでは七百歳にしてまだ童のような不老不死の人物と、当時十四歳でまだあどけなさの残る宿の主人の姿を重ねあわせていて、薬効があるという菊の花を手折らずとも、湯からはそれに劣らず良い匂いがしている、ということ。

久米之助:  泉屋甚左衛門の幼名で、当時十四歳。 芭蕉から「桃夭」の号を与えられた。
彼の父: 泉屋又兵衛・豊連。 曾良では「祖父」となっている。

(らく)の貞室(ていしつ): 「洛(らく)」は京都、貞室は貞門の俳人・安原正章のこと。京都の紙商で、のちに貞門七俳仙の一人となる。
貞徳: 松永氏。 貞門俳諧の祖。 
 貞室は十五歳頃に貞徳の門人となり、四十二歳の頃に俳諧の点業を許された。 師・貞徳の死後に俳号を貞室に改め、貞徳二世を称したという。
判詞(はんし)の料(りょう)を請けず: 俳諧での添削や批評に対する謝礼金を貰わなかった、ということ。

  「曾良・俳諧書留」
   山中の湯
山中や 菊は手折らじ 湯の薫  翁
秋の哀 入れかはる湯や 世の気色  曾良

貞室、若くして彦左衛門の時、加州山中の湯へ入て宿、泉屋又兵衛に進被(すすめられ)、俳諧す。甚恥悔、京に帰て始習て、一両年過て、名人となる。
(のちに)来りて俳(諧)催すに、所の者、布而之を習う。以後山中の俳(諧)、点領無しに到遣す。又兵衛は、今の久米之助の祖父也。

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