2014年10月4日土曜日

57. 越前・敦賀(八月十四日)

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【現代読み】
(ようよう) 白根が嶽(だけ)隠れて、 比那(ひな)が嵩(だけ)現る。
浅水(あさむづ)の橋を渡りて、 
玉江(たまえ)の蘆(あし)は 穂に出(い)でにけり。
(うぐいす)の関を過ぎて、 湯尾(ゆのを)峠を越れば、
(ひうち)が城(じょう) 帰山(かえるやま)に初雁(はつかり)を聞きて、
十四日の夕暮(ゆうぐ)れ、 敦賀(つるが)の津(つ)に宿を求む。

その夜、月 殊(こと)に晴れたり。
「明日の夜も かくあるべきにや」 と云えば、 
「越路(こしじ)の習い、なお明夜(みょうや)の陰晴(いんせい)はかりがたし」と、
主人(あるじ)に酒勧められて、 気比(けひ)の明神に夜参(やさん)す。

【語句】
白根が嶽: 白山(前出)。 加賀の那谷寺や山中温泉へ行く頃から見えていた(2700m.の)白山が、越前に来てやっと見えなくなった。
比那が嵩: 日野山(ひのさん)のことで、795m.と高くはないが、形から「越前富士」とも呼ばれている。
浅水(あさむづ): 現在は「あそうず」と呼ぶらしいが、ここに出てくる地名は歌枕で、「菅菰抄」に詳しい。

『「あさむづ」は「麻生津」とも、「浅水」とも書り。今は麻生津(あそうず)と云う。福井の南、往還の駅にて、宿の中程に板橋有り。「あさふづの橋」と云う。清少納言が枕草子に「橋は、あさむつの橋」と書る名所なり。また「黒戸の橋」とも云うよし、歌書にも見えたり。
(「方角抄」)「「朝むづの 橋はしのびて渡れども とどろとどろと なるぞわびしき」
又、「たれそこの ね覚て聞ばあさむつの 黒戸の橋を ふみとどろかす」
玉江のあし」は、此の道順にて見る時は、「あさむづ」より前に書くべし。福井と麻生津との間に有り。福井の町を上の方へ出はなれ、二町ばかり行けば、赤坂と云う所有り。是を過ぎて往還に、石橋三つ有り。其の中の橋の、高欄の付きたるを、玉江の橋の蹟として、此の川を古(いにしえ)の玉江なりと云う。
(「後拾遺集」)「夏刈りの 玉江の蘆を踏みしだき 群れ居る鳥の 立つ空ぞなき」(源重行)
(中略)
鶯の関」は、関の原という名所なり。
(「方角抄」)「鶯の 啼きつる声にしきられて 行きもやられぬ 関の原哉」
今民俗誤りて「関が鼻」と云う。府中と湯の尾との間にて、茶店あり。
湯尾峠」はわづかなる山にて、巓(いただき)に茶店三・四軒あり。(中略)
燧が城」は湯尾の向かいの山にて、木曽義仲の城跡なり。
かへる山」は「かへる村」と云う在所の上の山を云うと。本名は「海珞山」なり。さるを「海路」の字と誤り、遂に音を転譌(てんか)して「帰る山」と称す。名所なり。
(「続拾遺集」)「たちわたる 霞へだてて帰る山 来てもとまらぬ 春のかりがね」』 (以上、「菅菰抄」より)

帰る山に初雁を聞きて: これも上の「続拾遺集」にある、「帰る山 来てもとまらぬ 春の雁が音」を踏まえている。
十四日の夕暮れ: 旧暦八月十四日は、「中秋の名月(十五夜)」の前夜。(現在の9月27日)
越路(こしじ)の習い: 北陸道の常として。 「越路」は「北陸道」の古称。
陰晴計りがたし: 「陰晴」は「曇りと晴れ」で、天気の予測が難しい、ということ。
『十四日、明夜の陰晴はかりがたければ、先に今宵の月を賞すべし』(「日本歳時記」)

銀漢無声露暗垂   銀漢(銀河)声無くして 露暗(つゆ・やみ)に垂る
玉蟾初上欲円時   玉蟾(円い月)初めて上って 円ならんと欲する時
清樽素瑟宜先賞   清樽素瑟(せいそん・そしつ) 宜(よろし)く先ず賞すべし  
明夜陰晴未可知   明夜の陰晴 未(いま)だ知る可(べから)ず 
 (孫明復の詩「十四日夜」より)
※「蟾(せん)は「ひきがえる」で、月にヒキガエルがいるという伝説による。 「銀蟾」は月の別称。
※「瑟(しつ)」は琴に似た、大型の弦楽器。 清樽素瑟(せいそん・そしつ)は、「清酒の入った樽と、澄んだ琴の音色」で、明日のことなど分からないのだから、良いものは今ある内に楽しもう、ということ。

気比(けひ)明神: 福井にある気比神宮。



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