2014年10月2日木曜日

59. 色の浜(八月十六日)

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【現代読み】
十六日、 空晴れたれば、
ますほの小貝(こがい)(ひろ)わんと、 種(いろ)の浜に舟を走(は)す。
海上七里あり。

天屋(てんや)何某(なにがし)と云う者、 
破籠(わりご)・小竹筒(ささえ)など 細やかにしたためさせ、
(しもべ)数多(あまた) 舟にとり乗りて、
追い風 時の間(ま)に吹き着(つ)きぬ。

浜はわづかなる 海士(あま)の小家(こいえ)にて、
(わび)しき法花寺(ほっけでら)あり。
(ここ)に茶を飲み、 酒を温めて、
夕暮れの寂しさ 感に堪(た)えたり。

 寂しさや 須磨(すま)に勝ちたる 浜の秋
 波の間や 小貝にまじる 萩の塵(ちり)

其の日のあらまし 、等栽(とうさい)に筆をとらせて寺に残す。

【語句】
(いろ)の浜: 敦賀湾の「色ケ浜」。 曾良の旅日記には、「九日、色浜へ趣。海上四里」とあり、当時は陸の孤島で舟以外の交通手段は無かったとか。芭蕉は「海上七里」、曾良には「四里」とあるが、実際は二里足らずとのこと。
八月十六日: 現在の9月29日に当たる。

ますほの小貝: これも西行にゆかりのもので、
 『汐染むる ますほの小貝拾ふとて 色の浜とは いふにやあるらん』(「山家集」)
『「ますほの小貝」は仮名の誤りなり。「ますう」と書くべし。真蘇芳と云う事にて、貝の色の赤き事、真(まこと)の蘇芳(すおう)の如し、と云うことなり。』(「菅菰抄」) → 小貝の画像

天屋何某: 天屋五郎右衛門。 敦賀の廻船問屋。俳号:玄流。 「曾良・旅日記」によると、
『十一日: 快晴。天屋五郎右衛門を尋ねて、翁へ手紙認(したた)め、預け置く。五郎右衛門には逢えず。』とある。

割籠(わりご): 木で作った折り箱で、今で言う弁当箱。
小竹筒(ささえ): 酒を携帯するのに用いた竹筒。→ 画像
(しもべ): 召使や使用人のこと。

侘しき法花寺あり: 本隆寺のこと。 → 写真画像 
「曾良・旅日記」では、『九日: 色浜へ趣く。海上四里。戌の刻、出舟(陸は難所)。夜半に色(浜)へ着く。塩焼き男導きて、本隆寺へ行て宿』―とあり、寺に泊っている。

須磨: 現在の須磨区に当たり、その海岸を指す。近流(流刑〈るけい〉で最も刑の軽いもの)の場所でもあり、「源氏物語」の「須磨」では光源氏が一時蟄居した所でもある。 古来歌枕としても有名な寂しい浜だが、その須磨よりもっと寂しさが勝っているということ。

小貝にまじる萩の塵: 「ますほの小貝」は爪くらいの小さな貝とのことだが、その赤い小貝に混じって萩の花が散っている、ということ。

等栽に筆をとらせて寺に残す: 本隆寺に伝存する懐紙に、
『気比の海の景色に愛で、色の浜の色に移りて、「ますほの小貝」とよみ侍しは、西(行)上人の形見成けらし。されば、所の小はら浜で、その名を伝えて、汐の間をあさり、風雅の人の心をなぐさむ。
下官、年比思ひ渡りしに、此たび武江(武蔵国江戸)芭蕉桃青・巡国の序、この浜に詣で侍る。同じ舟に誘われて、小貝を拾い、袂に包み、盃にうち入なんどして、彼の上人の昔をもてはやす事になむ。越前福井・洞哉(等栽)書。 
「小萩ちれ ますほの小貝 小盃(こさかづき)」 桃青(とうせい:芭蕉の別称) 元禄二年・仲秋』


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