2014年9月26日金曜日

65. 蝶夢・奥書(寛政版)

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蝶夢(ちょうむ): 江戸中期の僧であり、俳人。 芭蕉の墓所である大津の義仲寺を訪れた際にその荒廃ぶりを嘆き、再興を誓ったとされる。
これは元禄版から68年経った明和七年(1770年)に再版された明和版、いわゆる「蝶夢本」と呼ばれる本の奥書で、蝶夢三十八歳の時になる。

「去年(こぞ)の冬、伊賀の上野(芭蕉の生家)に掛錫(かしゃく:僧が錫杖〈しゃくじょう〉を壁に掛けること)の折りふし、古き反古(ほご)の中に、此の細道の原本を得たり」
井筒屋から元禄十五年(1702年)に刊行された初版本は、去来が遺言により、伊賀上野の兄から譲り受けたものということは「去来・奥書」に書かれており、芭蕉の兄も遺言とはいえ手放すのは忍びないので「写し」をとらせたことも書かれていたから、ここでいう「原本」とは、それを模写したものということでしょう。

元禄版から68年後の明和七年〈1770年)に再版された明和版(蝶夢本)には、元禄版では省かれていた「素龍・跋文」と「去来・奥書」が加えられ、この「蝶夢・奥書」もその時のもの。
 愛知県立大学図書館コレクション → 「おくのほそ道」明和版・PDFファイル

義仲寺(ぎちゅうじ): 木曽義仲の墓所で、芭蕉は生前この場所を愛し、句会も度々行われたという。 芭蕉の亡骸(なきがら)は、遺言により義仲の墓の隣に葬られた。 芭蕉の命日は元禄七年十月十七日、現在なら11月28日の初冬である。

  『 木曽殿と 背中合わせの 寒さかな』  又玄(ゆうげん)

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